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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)227号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 興民運輸株式会社 外一名

被控訴人(附帯控訴人) 木村一雄 外一名

主文

一、本件控訴を棄却する。

二、附帯控訴人らの附帯控訴に基き原判決を次のとおり変更する。

三、附帯被控訴人ら(控訴人ら)は各自附帯控訴人(被控訴人)木村一雄に対し金七万千二百二十五円、附帯控訴人(被控訴人)木村匡一に対し金一万四千円及びこれに対する昭和二十七年十月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四、附帯控訴人(被控訴人)木村一雄は、附帯被控訴人(控訴人)興民運輸株式会社に対し金六千百五十円を支払え。

五、附帯控訴人(被控訴人)木村匡一及び附帯被控訴人(控訴人)興民運輸株式会社のその余の請求を棄却する。

六、訴訟費用は第一、二審を通じこれを十分し、その七を控訴人ら(附帯被控訴人ら)の負担とし、その余を被控訴人ら(附帯控訴人ら)の負担とする。

七、この判決は、各勝訴者において、執行金額の三分の一に相当する金額を供託するときは、三、四項に限り仮りに執行することができる。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という。)ら代理人は「原判決中控訴人ら敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。被控訴人木村一雄は控訴会社に対し原判決認容部分を合せ、金二万五百円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの請求について生じた部分は被控訴人ら、控訴会社の請求について生じた部分は被控訴人木村一雄の負担とする。」との判決を求め、附帯控訴人らの附帯控訴に対し、附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という。)ら代理人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決中附帯控訴人ら敗訴の部分を取り消す。附帯被控訴人らは、各自、原判決認容部分の外、さらに附帯控訴人木村一雄に対し金二万二千五百円、附帯控訴人木村匡一に対し金二万五千円及び各これに対する昭和二十七年十月六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。附帯被控訴人興民運輸株式会社の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、被控訴代理人において、「(一)被控訴人匡一の請求額を金三万円にとどめる。その慰藉料については、同被控訴人の長い生涯における精神上の苦痛を顧慮すべきものである。(二)被控訴人一雄に過失のあつたことは、これを否認するが、仮りにあつたとしても、これに基く斟酌は精々損害額の三分の一程度に止むべきものと考える。蓋し、(イ)控訴人高橋が先制横断という明白な道路交通取締法違反の行為に出るであろうことを予期しなかつた程度の軽過失にすぎない。(ロ)しかも同控訴人は方向指示器をあげておらなかつたのであつて、被控訴人一雄は前車に追尾して進行したのであるから、その間隙を縫うて控訴人高橋の車が疾走突入してくることは通常考えられないところであるばかりでなく、現場は、殊に事故発生の時刻においては、自動車の往来はげしかつたので、同被控訴人としては、控訴人高橋の車を発見して急停車の措置をとるときは、後から追行して来るべき幾台もの自動車の事故を続発する虞すらあつた状況で、漫りにかかる措置をとり得べきでなかつた。(三)また、被控訴人匡一については、何ら過失の存すべきものはない。同被控訴人は、控訴人らに対してはもとより、被控訴人一雄に対しても、いわゆる共同不法行為により被つた損害を賠償請求なしうるものであつて、もとより共同不法行為者の何人に請求するやは権利者たる被控訴人匡一の自由であるから、控訴人らに対する慰藉料として金三万円を請求する。しかるに原判決は被控訴人一雄が被控訴人匡一の親権者たるの故をもつて、匡一の請求に関して一雄の過失を斟酌したのは法律的根拠を欠き失当である。従つて原判決認容の部分のほか、控訴人らに対し、被控訴人一雄は、さらに各自金二万二千五百円、被控訴人匡一は、さらに各自金二万五千円及び各これに対する訴状送達の翌日である昭和二十七年十月六日から完済まで年五分の割合による損害金の支払を求める。」と陳述した外、原判決の摘示と同一であるので、ここにこれを引用する。

〈立証省略〉

理由

一、昭和二十六年十月十九日午後十一時頃東京都港区虎ノ門特許庁前の都電軌道のある街路上において、折柄同所を溜池方面に向つて進行中の被控訴人木村一雄の運転にかかる同人所有のダツトサン小型貨物自動車(番号第五、一八四号、以下単に本件ダツトサンという。)(その助手台には被控訴人木村匡一が同乗していた。)と、溜池方面より東進中の控訴人高橋重次が控訴会社の自動車運輸営業のため運転にかかる同会社所有の自動車(電ツウ七五六二二号、以下単に本件自動車という。)とが衝突した事実は、当事者間に争ないところである。

二、被控訴人は、右の衝突事故は、控訴人高橋の運転者としての注意義務を欠く過失によるものであつて、被控訴人一雄には過失がない旨、また控訴人らは、右は、被控訴人一雄の酩酊による無謀運転に起因するものであつて、控訴人高橋には何ら過失なき旨、いずれも事実摘示のようにその事由を詳細に述べているので、右事故がいずれの過失によるものか、まず判断を要するが、成立に争ない甲第十号証(犯罪事実現認報告書)によれば、本件事故の現場は、東京都港区赤坂葵町二番地先で、虎ノ門、溜池間の都電軌道のある街路に、特許庁傍の道路と、満鉄ビル傍の芝明舟町方面(芝西久保桜川町方面)に向う道路と、米国大使館正門に向う道路とが交叉する、いわゆる「五ツ又」交叉路の区域内であることが認められ、同所は相当広幅員を有する平担な舖装路面で、午後十一時頃という深夜といえども自動車の運行に支障なき程度の照明設備の存することは、当裁判所に顕著であるから、本件事故は、双方の過失か、または、いずれか一方の過失によつて起つたものと認むべきで、本件にあらわれた全資料によるも、衝突の際これを傍観していた者を見出しがたく、控訴人高橋、被控訴人一雄の外、他の証人らは事故発生後現場に臨んだものであるので、いきおい右控訴人、被控訴人の供述を本件当事者双方挙示の証拠とともに検討して責任の所在を明らかにするの外はない。

(一)  よつてまず、控訴人高橋の供述について、検討する。

成立に争ない乙第一号証の一(昭和二十六年十月二十日附赤坂警察署巡査部長に対する供述調書)によれば、「本月十九日午後十一時二十分頃普通小型乗用車第七五六二二番を運転して赤坂見附の方向より虎ノ門方面に向つて進行し、赤坂葵町二番地満鉄ビル裏の交叉点を芝西久保桜川町の車庫に帰る為、右にハンドルを切りたる処、虎ノ門方面より小型が速力を出して馳つて来たので、危険なので一時軌道の上で停車したる処、小型自動車は蛇行進し、あつと云う間に私の車の前部左側に追突したのであります。私はすぐ下車して見た処、十五年位の学生服を着た子供が、顔より出血しており小型の自動車は反動で、五米位右側の方に後進した様な気がします。其の運転手は相当酒を飲んで居た様です。私は停車した時はすでに右に方向指示器を出して居ました。私共の損害は大体右前部のバンバ及フインダーが大破しております。」との供述記載があり、同号証の二(前同日同署警部補に対する供述調書)によれば、「会社へ帰る途中赤坂葵町二番地先特許庁前交叉点に差しかかつた時午後十一時二十分頃と思いましたが、前方約七十米位の所を物すごいスピードで虎ノ門方面より特許庁前交叉点に向つて進行して来る小型自動車を認めたので、衝突の危険を感じたため、交叉点の中心地点の軌道上に一時停車しその小型の通過を待つてから、右折するつもりで居つた処、どうした事かその小型が私の車に近づいて来るに伴れて少しく蛇行進をしてアツと云う間に私の車の前部右側に衝突して終いました。私は驚いて慌てゝ車から飛び降りで見ますと、その小型に乗つて来た十五才位の学生服様のものを着ていた男の子が車から投げ出されて、出血して居り、又運転してきた四十才位の男の人も運転台のウインド硝子で顔面を負傷して出血して居りましたので、-中略-負傷した二人を救急車に乗せて医者へ連れて行こうとしましたが、その運転者は頑強に拒んで自分の車から降りないので仕方なく最初にその男の子だけをすぐ近くの芝明舟町の川瀬病院に運んで貰い、間もなく救急車が戻つて来たので、今度は運転者を乗せようとしましたが、大丈夫だと云つて、どうしても乗らなかつたがお巡りさんや居合せた人達が無理にすゝめて、漸く救急車に乗せ、-中略-その運転者は相当お酒を飲んでいたと見えて随分酒臭い香いがしましたし、車から降りた時など足が相当ふらふらして居りました。」との供述記載があり、成立に争ない乙第二号証(昭和二十七年一月十六日東京区検察庁における供述調書)によれば、「去年十月十九日の衝突事故については私が赤坂警察署にて申上げた通りであります。当日私は勤務日にて仕事も終り会社に帰るべく旧満鉄ビルの処の交叉点の所迄来ますと虎ノ門方面より私の方向に前方約二十米に普通乗用車が又前方約六、七十米の処に一台の自動車が進行して来ました。私はこの二台の車を通す為ロータリーの中央部左側軌道上に私の車を四十度位右方向に停車したとき一台通過して行き次の車が約十米位前方より急に私の車の方に進んで来て私がスモールに切替たと同時に衝突してしまいました。私はこの交叉点に入る約二十米位後方より右折の方向指示器を出して来ましたので、私の後から数台車が来ましたが停車したときは他の車は私の車を追い越して行きました。私は衝突した車を前方に発見しました時より其の車はスピードを私の考へでは約五十K以上は出して居たと思います。それでひどくはありませんが蛇行運転して来た事に間違いありません。私も危い車だなと思つて居りました。-中略-申し遅れましたが衝突した時相手の車は反動にて右側後方へ約二、三米離れて居ましたが、私の車は全然動いていませんでした。私も今考えると、車を動かさず衝突した侭で其の位置に居れば停車していた事と方向指示器を出して居た事をはつきりお巡りさんが来て確認して貰らへた事と残念に思つています。」旨の供述記載があり、原審被告(控訴人)高橋重次本人尋問においては、「当日事故発生前、私は渋谷方面に客を送り届けての帰途、赤坂見附を経由、午後十一時頃本件衝突現場たる特許庁前交叉点附近に差掛つた訳ですが、私はその交叉点を右折して満鉄ビル横通りえ入り被告会社車庫え向うとした。現場交叉点に至るまで、私は溜池方面から虎ノ門方面に向つて道路の中央部より左側、すなわち該道路上中央部には四条の電車軌道があり、その軌道の最左端、すなわち最北端より若干離れて進行しておりました。或はその当時私の自動車の右側のタイヤが電車軌道の最左端の敷石の左端に若干かゝつていたかも知れません。又当時の現場附近の車の交通量は左程多くはなく、比較的閑散な方でありましたので、私の車の前方の模様はよく見ることができました。かようにして私の自動車が特許庁前交叉点本件衝突現場附近に到達した際、前述の様に右交叉点を右折しようとして前方を注視したところ、前方約百米附近を虎ノ門方面からこちらに向つて突進してくる小型自動車を認めました。それが原告木村の運転する自動車であつたわけですが、その自動車は大体四十粁位の相当のスピードを出しておりました。しかも原告の自動車は、かなり蛇行状態を呈しておりました。そこで、私はブレーキを踏んで、ハンドルを斜右に切つた状態で車を停止せしめ、同時に方向指示器を上げ、前方ライトをスモールに切替えました。右停車の位置は本件現場交叉点中央丸ポイントの北側で、私の車の右前タイヤは該道路の電車軌道の最左端すなわち、最北端にはまだかかつていなかつたと思います。尚そのとき原告の車の前方を進行中の車は一台もありませんでしたので私には原告の車の進行状況は大体よく判りましたが、私の見たところでは、前述の様に原告の車は若干蛇行状態を呈しており、その模様はその車のライトの具合で判りました。通常の場合、正規の運転をしている自動車であれば、かような蛇行状態となることは殆どありえないことですが、運転手が酔つていたり、運転が下手糞であつたりしてハンドルを左右に切りすぎたり、或はアスピツチと云つて、自動車の進行中その平衡を保つたために絶えずハンドルを左右に若干宛動かすことを怠つたりしていると車が若干蛇行状態を呈することがありうるわけです。かようにして私の車が電車軌道の左側すなわち北側に停止せしめて原告車の通過を待つていたところ、それまで道路のほぼ中央部を前進して来ていた原告車が突然停止している私の車の前方へ突込んで来てあつという間もなく、その右前部を私の車の右前部に激突せしめて仕舞つたものであります。本件衝突事故発生当時、前述の様に私の自動車の方向指示器はその直前、直後とも上つていたことは絶対に間違ありません。右方向指示器は衝突後私が車を移転させた際に下ろしたもので、それまでは確実に上つておりました。本件衝突事故発生前私の車がその前方を進行する車を追抜こうとしていたという様な事実はありませんでした。前述の様に衝突当時現場附近の交通量は比較的少く、原告車の前方を進行中の車は一台も見かけませんでした。」旨供述し、当審において控訴人高橋は、「本件事故の際私は電気自動車を運転しておりました。電気自動車はバツテリーがありますので普通の車より重い車です。本件事故の際は私は渋谷方面から来て満鉄ビルの所を右折し控訴会社に帰る途中でした。そのとき私は右曲角の手前二十米位の位置で方向指示器を出し、曲る態勢にあつた時前方に二台の車を認めましたので、特許庁交叉点の電車軌道の中央でブレーキを踏んで停車し、右二台の車を遣り過ごそうとしたのです。それで右二台の中一台は無事通り過ぎたのですが、残る一台は蛇行運転して参りましたので、危いと思つていると、私の車に衝突してしまつたのです。本件事故の際被控訴人一雄の車は私の車に衝突した反動で二、三米後戻りして停車しました。その時同車のハンドルは右に切れており、この衝突で私の車は右の前部ライトとフヱンダーを損じました。本件事故の前私の車の前方五十米位の所に二台の自動車の来たのを初めて認めました。被控訴人の車は二台目のものでした。その二台の車は虎ノ門の方面から来たのであつて同方面からみて道路の左側を進行して来たのであります、二台のうち最初の一台は通りすぎたのでありますが、被控訴人の車は前方十米位から急に右の方すなわち私の停車している方向へ寄つて来て私の車にぶつけてしまつたのです。」と供述している。

(二)  次に被控訴人一雄の供述を検討する。

成立に争ない甲第六号証(昭和二十六年十月二十三日附赤坂警察署における供述調書)によれば、「私も毎晩二合位宛晩酌をやつている関係上少し位御馳走になつても運転に支障を来たす様なこともないと思つたので、青木さんと二人で約四時間位に亘つてビール一本と焼酎四合壜一本を全部飲みましたが、飲んだ量は二人とも同量だつたと思います。そして午後十時過頃長男匡一を助手台へ乗せて私が小型貨物自動車を運転して青木さんのところを出発帰路につき、森下町永代橋、桜橋、市場通り、昭和通り新橋、虎ノ門を経て、午後十一時半頃と思いましたが私が約二十粁位の速度で正規の運転をして満鉄ビル前(特許庁前)交叉点に入つた時、右前方約百二、三十米の地点を反対側の赤坂見附方面より虎ノ門方面に向つて車軌道上を進行して来る一台の普通乗用自動車を認めましたが、その車は右折するための方向器を上げていないので、私はその車は前方を走つている車を追越す為に軌道上を走つているとばかり思つていましたところ、その車は、方向器を上げないまゝ私の車の方向に進んで来たため、私が車を停める間もなく衝突して終いました。私は最初から酒を飲んで自動車を運転することはいけないということは良く知つていました。多少にかかわらずお酒を飲んで自動車を運転して交通事故を起したことは誠に申訳ないと思つております。」旨の供述記載があり、成立に争ない甲第七号証(昭和二十六年十二月二十日附東京区検察庁における供述調書)によれば、「私の車は虎ノ門方面より溜池方面に向つて道路左側を進行し、特許庁前の交叉点に来ました時に、信号は黄色の点滅信号でしたので、そのまま直進を続けるつもりでした。その時前方から軌道敷内をまたいで一台の小型四輪車が進行して来ましたが、方向器を上げていなかつたので、私はその車はその車の前方を進行している車を追越す為にその様な運転をしているのだなあと思つていました。私の車が交叉点に入つてなお進行を続けたのですが先方の車は右折するのに一時停止もしないで、交叉点の中央にあるロータリーを表す区画線の上を私の車の方に相当の速力で進行して来ましてアツと云う間もなく衝突してしまいました。蛇行していたと聞かれますがその様なことはなかつたと思います。」旨の供述記載があり、成立に争ない甲第八号証(昭和二十七年三月十九日東京区検察庁における供述調書)によれば、「この夜深川扇橋の青木方から赤坂葵町まで運転した時の経路は、本所門前仲町、永代橋、市場通り新橋を経て虎ノ門に来て葵町へと進みました。途中はどこへも寄りませんでした。衝突した直前の私の車のスピードは二、三十粁だつたと思います。相手の高橋運転手の車はこの前にも申した通り方向指示器を上げず、一時停止もしないで私の車の方へ私の車のスピード以上のスピードで進行した来た次第です。」との供述記載があり、原審原告(被控訴人)木村一雄本人尋問において、「私は虎ノ門方面から溜池方面え通ずる道路上を溜池方面に向つて該道路上左側歩道の右端から約二間位の間隔を置き、中央電車軌道の中心線と右歩道の右端との略々中央稍々歩道寄りの箇所を連ねる線上を、すなわち正規の位置を保持しつつ進行し、右特許庁前交叉点附近に差掛つたところ、被告高橋の運転する自動車は、同交叉点外約十米位溜池寄りの箇所を虎ノ門の方向に向つて疾走しておりました。次いで私の自動車が同交叉点、虎ノ門寄りの横断白線に差掛つた際、被告高橋の自動車は、矢張り同交叉点、溜池寄りの横断白線の内虎ノ門の方向に向つて道路の中央より稍々左寄り電車軌道と自動車道路(本道)とに跨つて、可成りの速度をもつて疾走しておりましたがその時、同自動車の方向指示器は全然上つておらず、速度も可成り出していた模様なので、私はこれは被告高橋の自動車がその前方を進行していた数台の自動車を追抜こうとしているものであると判断し、私はそのまま同交叉点を通過しようとした途端に被告高橋の自動車のヘツドライトの光線が突然旋回して来て、私の自動車の後方から前方えかけて強く照射して来ましたので、私は危いと思つた瞬間「あつ」と叫んで自動車のブレーキをかけようとしたが、既に遅く、その瞬間、被告の自動車はそのままの速度で停車する事なく、突進して来て、その前方右角の部分を私の自動車の右前角の部分と激突せしめて仕舞いました。なおその衝突の瞬間まで、被告高橋の自動車の方向指示器は全然上つておりませんでした。甲第三号証の図面は私が書いた本件衝突現場の略図で、当時の模様は此の通り相違ないと思います。

私は本件事故発生当日深川扇橋の青木方に立寄り、同家に約四時間程おりましたが、その間に酒を御馳走になり、大体ビール及び焼酎各一本を飲みました。それで当日もさして酔つてはいませんでした。従つて、本所深川から現場に至るまで凡そ十五、六粁の間、何等の問題なく、無事通過して来た訳で、とりわけ、新橋から虎ノ門迄の間は、午後十一時頃の都電運行停止後の非常に自動車等の往来の激しい時間でありましたが、そこも無事に通過して来たものであります。尚本件衝突事故発生直前、現場附近の交通も相当輻輳しており、現場交叉点の内外には少くとも七、八台の車が疾走しておりました。被告高橋が主張している様に、本件衝突前私の運転する自動車が道路上を蛇行で進行していたという様な事実はありません。本件衝突現場の位置は私の自動車の進行方向に向つて、該交叉点の手前の停止線の向う側の停止線との略中央附近でありましたが、衝突直前私が被告高橋の車を発見した際、私の車はすでに手前の停止線を越えて交叉点中央丸ポイントに接近しつゝありましたが、その時被告高橋の車はまだ向う側の停止線の後方約十米位のところにあつたと思います。本件衝突事故発生当時、現場交叉点の信号燈はいわゆる注意信号になつておりました。そのときの私の車の速度は約二十二、三粁位で、相手方のそれは約四十ないし四十五粁位もあつたかと思います。」との供述をなし、当審同被控訴人本人尋問において、「私は本件について原審で取調を受けた際述べたことは間違ありません。本件事故発生当時私は酒を飲んで居りましたが、道路交通規則に違反しては居りません。この日私は新橋から田村町をとおつて正規のところを正規の速力で自動車を運転し、私の運転する車の前方を走る車と五メートル位の間隔をおいて前方の車の後をつけて走つて来ました。この時前方百五、六十メートルの地点から電車の軌道上を相当の速力で私の方向に疾走してくる自動車がありました。この自動車が控訴会社の高橋重次の運転する自動車であります。右自動車は方向指示器を出して居りませんでしたので、私は他の自動車を追越すのかと思うて居りましたところ、特許庁前の交叉点のところ私の車の約十米手前で急に右折したので、右道路の丸ポイントのロータリの附近で私の自動車と衝突したのであります。甲第十一号証は私が裁判所に提出するため昭和二十九年五月本件事故現場を測量して作成した実測図で、赤丸印のロータリは本件事故当時はありましたが現在はありません。右ロータリの南側赤で斜線した個所が本件衝突現場であります。衝突当時私の車は時速二十二、三粁で走つておりましたが高橋重次の運転する自動車はそれ以上の速力で走つておりましたし、それに私の車はダツトサンで運転台と硝子窓との距離が短かいので、これがため衝突の時硝子窓に頭を打ちつけたのであります。それほどの速力で衝突したのなら相手の車も相当の損傷をするのではないかとのことでありますが、それは車の重量にもよります。私の車はダツトサンで重量は五百五十瓩でありますが、相手の車は電気自動車で大きいので、私の車と同じ程度の損傷ということはありません。私は本件衝突現場に来る途中蛇行運転をしてすれちがいの自動車の運転手に文句をいわれたことはありません。反対に私の方で田村町附近で細い横道からタクシーが一時停止もせず走つて来たのでその運転手を怒鳴つたことがあります。私は本件事故を起したことが動機となつて酩酊運転ということで略式命令で罰金に処せられたことがあります。」との供述をしている。

(三) そこで、双方の供述するところを比較考察するに、控訴人高橋は、(1) 相手方木村一雄の運転するダツトサンの速力について、警察署においては、「前方約七十米位の所を物すごいスピードで虎ノ門方面より」と述べ、東京区検察庁においては、「私は衝突した車を前方に発見しました時より其の車はスピードを私の考へでは約五十K以上は出して居たと思います。」と述べ、原審においては、「前方約百米附近を虎ノ門方面からこちらに向つて突進してくる小型自動車を認めました。それが原告木村の運転する自動車であつたわけですが、その自動車は大体四十粁位のスピードを出しておりました。」と述べ、(2) 木村一雄のダツトサンの蛇行状態について、警察署では、巡査部長の取調の際は、「危険なので一時軌道の上で停車したる処、小型自動車は蛇行進し、あつと云う間に」と述べ、警部補の取調に際しては、「交叉点の中心地点の軌道上に一時停車し、その小型の通過を待つてから、右折するつもりで居つた処、どうした事かその小型が私の車に近づいて来るに伴れて少しく蛇行進をしてアツと云う間に」と述べ、東京区検察庁の取調の際は、「それでひどくはありませんが蛇行進して来た事に間違いありません。」と述べ、原審においては、「しかも原告の自動車はかなり蛇行状態を呈しておりました」と述べ、当審においては、「被控訴人の車は前方十米位から急に右の方すなわち私の停車している方向へ寄つて来て私の車にぶつけてしまつたのです。」と述べている。もとより、控訴人高橋に対し相手方の運行に関して的確な認識を期待することの無理であることは、これを肯定するに吝ではないが、それにしても、その供述が一貫していないことは蔽うべくもないところであり、また同控訴人の主張するような超スピードをもつて自動車を運転している際、果して転覆の危険なくして蛇行進ができるかも経験則上疑の存するところである。(3) さらに同控訴人は、東京区検察庁において「自己の運転する自動車の前方に二台の車が自分の方に向つて進行し来り、本件ダツトサンは二台目の車である」旨供述したにかかわらず、原審においては、「本件ダツトサンの前方を進行中の車は一台もなかつた」旨断言し、当審において、これを飜して「前方に二台の車を認め、一台は無事通り過ぎたが残る一台が本件ダツトサンであつた」旨供述し、さらに同控訴人があげたという方向指示器については、赤坂警察署巡査部長の取調に際し、「私は停車した時はすでに右に方向指示器を出して居ました。」と述べるのみで、何時如何なるときに出したのか詳らかでなく、東京区検察庁において、「私はこの交叉点に入る約二十米位後方より右折の方向指示器を出して来ましたので」と供述しているが、さらに「車を動かさず衝突した侭で、その位置に居れば停車していた事と方向指示器を出して居た車をはつきりお巡りさんが来て確認して貰らえた事と残念に思つています。」と供述し、原審においては、「私はブレーキを踏んで、ハンドルを斜右に切つた状態で車を停止せしめ、同時に方向指示器を上げ、前方ライトをスモールに切り替えました。」と停止と同時に方向指示器を出した旨警察署における供述とそごしている。かような運転者として当然守らなければならない前方注視義務、右折運転の場合における方向指示器を上げる動作についても供述を二三にし、これを的確にいいあらわさないばかりでなく、殊に原審における供述のように、車を停止すると同時に方向指示器を上げたのであれば道路交通取締法第二十二条に違反する疑の存するところである。ただ同控訴人の警察署以来の供述を通じ変らないところは、被控訴人一雄が本件事故の際飲酒酩酊しており、その程度甚しく、これがため蛇行運転、超スピート運転等無謀操縦をなしたものと強調する点にあるのみであつて、自己に関することについては必ずしも一貫しているといい得ないことは右説示のとおりである。これに反し、被控訴人一雄は、警察署の取調以来一貫して「飲酒したことは認めるが、運転をあやまるほどに酩酊してはいなかつた。本件事故現場に差しかかる際は正規の位置を保持しつつ正規の速力で直進して来たのであつて蛇行運転をして来たことはない。控訴人高橋の自動車は方向指示器を上げずに突然自己の進行方向に旋回して来て自己の運転するダツトサンの前部右角に衝突せしめた。」旨供述しているのであつて、その間特に問題とするほどのそごは見当らない。このような場合、果していずれの供述に信を措くべきであろうか、有力なる裏付証拠のない限り控訴人高橋の供述をそのまま無条件に採用することのできないのは申すまでもないところである。

(四)  次に原審原告(被控訴人)木村一雄本人尋問の結果によれば、本件衝突事故によつて本件ダツトサンの被つた損傷部位が大体ホイル、前部タイヤ、前部バンバー、フロント硝子、フロントアクセル、ラジエーター、ラジエーターシエル、前部心棒、ライト、ボンネツト、ハンドル、ボデイの右前柱及び塗装等であり、また原審証人鈴木民雄の証言並びに同証言により成立を認めうる乙第六号証によれば、右事故によつて本件自動車の被つた損傷部位がフロント右側フエンダーバンバー及びライトであつた事実が認められ、なお、当審における控訴人高橋重次及び被控訴人木村一雄の供述によれば、本件自動車は、バツテリーがあつて普通の自動車より重く、本件ダツトサンは、重量が約五百五十瓩で、本件自動車の方が型も大であつた事実が認められる。

(五)  以上(一)ないし(三)の説明と(四)の事実及び原審並びに当審被控訴人木村一雄の供述により成立を認めうる甲第三、十一号証、原審原告(被控訴人)木村匡一法定代理人木村豊の供述、原審並びに当審証人百瀬博通の証言とを綜合考覈すれば、本件衝突地点は、特許庁前の街路で、虎ノ門方面から見て都電軌道の左側(南側)溜池方面へ向うて進行する電車軌道の外側(南側)を正に超えようとする附近の中央ポイントの稍々手前(甲第十一号証表示の衝突地点附近)であつたものと認めるを相当とし、被控訴人一雄が本件ダツトサンの助手台に被控訴人匡一を同乗させ時速二十二、三粁の速力で虎ノ門方面より溜池方面に向つて街路の左側、すなわち正規の進行路を先行する自動車に随いて直進して来たのを、控訴人高橋重次が本件自動車を運転して溜池方面より本件ダツトサンと大体同程度の速力をもつて進行し、特許庁前から右折して満鉄ビル横の芝西久保桜川町方に向わんとし、本件ダツトサンに先行する自動車の通過するをみてたやすく前記交叉路を横断しうるものとなし、方向指示器によつて右折の合図をなすことをせず、先行自動車の後に本件ダツトサンの進行して来るのに気付かなかつたのか、或は気付いても先制横断しうるものと即断したのか、いずれにしても停車することなく、そのまま進行したため本件自動車の前部右側を本件ダツトサンの前部右側に衝突せしめて本件事故をひき起したものと認定するのが相当であつて、これが事実の真相に合致したものと認める。してみれば控訴人高橋は、自動車運転者として、運行中必要な前方注視義務を怠り、殊に本件の交叉点のような当時手信号による交通整理の行われていなかつた場合における道路交通取締法第十八条の二に規定する右折横断の法則に背いたものであつて、本件事故に対する過失の責を免れることを得ない。

(六)  このように、本件事故は、控訴人高橋の過失に基因するものではあるが、他面被控訴人一雄といえども、本件交叉点を前にして本件自動車の進行して来るのを認めたのであるから、控訴人高橋が右折を合図する方向指示器を出していなくとも、万一、右折横断する場合のあることを慮り、その速度を減ずるなど、衝突の危険に具えて本件自動車の進行に注意しながら何時にても停車しうるように用意しなければならないのであつて、かかる注意を払うことなく、本件自動車が直進するものと軽信し、その速力を減ずる等のことなく、漫然直進を続けたのは、飲酒酩酊の結果にもよるものというべく、本件事故に対して、同被控訴人もまた過失の一端を荷うべきで、ただその程度は控訴人の過失責任に比して軽度であるというにすぎない。

(七)  以上の認定に反する原審並びに当審における控訴人高橋重次被控訴人木村一雄の供述、証人西田仁一の証言、当審証人小池禎郎の証言は措信しがたく、その他本件にあらわれたすべての証拠によるも右認定を左右するに足りない。従つて、控訴人ら主張の被控訴人一雄が飲酒酩酊し、本件ダツトサンを五十粁ないし四十粁以上のもの凄いスピードをもつて、蛇行運転し、控訴人高橋が右折合図の方向指示器を上げて停止中の本件自動車に衝突せしめたとの事実は、これを認めがたく、成立に争ない乙第三号証、第五号証によれば、被控訴人一雄が本件事故当夜酒気を帯び泥酔者特有の表現をなした旨四谷消防署勤務救急中隊長の答申書があつたこと、また当夜の運転が酒に酔い正常な運転ができない虞のあるものとして道路交通取締法第七条第一項第二項第三号第二十八条第一号により罰金三千円に処せられたことを認めうるが、酩酊の程度については、当審証人青木伝四郎の証言及び前記被控訴人木村一雄の供述に徴して必ずしも蛇行運転をなすほどに泥酔していたとも認めがたく、被控訴人木村一雄が右の如き処罰を受けたことをもつて控訴人高橋重次の過失責任を免れしめるものでないから、所詮前記認定の妨げとなるものでない

また控訴人高橋が疾走して衝突したとの被控訴人ら主張事実も、前記認定のように両車の軽重、大小、その衝突の箇所等に原因して後記認定の如き損傷の差異を生じたものと認めるを相当とするので、前記認定の事実を超えて被控訴人らの右主張事実を認定することはできない。

三、さて、当事者双方は互に本件事故による相手方の過失を主張してその損害賠償を求めており、双方に過失あることは前認定のとおりであるので、賠償額を定めるにつきこれを斟酌しなければならないのであるが、本件事故をもたらした原因力の大小注意義務違反の軽重等諸般の事情を公平の見地に立つて比較考量するときは、各相手方の被つた損害に対し、控訴人高橋は十分の七、被控訴人一雄は十分の三の割をもつてこれを賠償すべき責あるものと認定するを相当とする。そこでこの割合により双方の賠償請求しうべき損害額につき審究する。

(一)  原審原告(被控訴人)木村一雄の供述と、これにより成立を認めうる甲第一号証の一ないし八、第二号証の一二、第四、五号証の各一、二、前記木村豊の供述及び記録上明らかな被控訴人木村匡一が昭和十二年一月八日生の未成年者で被控訴人一雄の直系卑属としてその扶養を受けている事実とを綜合すれば、被控訴人一雄がその主張のとおり、本件ダツトサンの損傷修繕並びに被控訴人両名の傷害医療、被控訴人一雄の業務休止のため金九万二千四百五十円の損害を被つた事実を認めることができる。また被控訴人両名が右の傷害により精神上の苦痛を受けたことは多言を要しないところで、その傷害の部位程度並びに前記被控訴人木村一雄、木村豊の供述により認めうる被控訴人一雄の経歴、職業、生活状態、被控訴人匡一の年令、その傷痕が顔面に遺るおそれのある点等を斟酌すれば、その慰藉料の額は、被控訴人一雄に対しては金一万円、被控訴人匡一に対しては金二万円を相当とする。

しかして、控訴人高橋重次は、前説示のとおり損害額の十分の七に相当する金額を賠償すれば足るをもつて、被控訴人一雄に対しては右合計損害額金十万二千四百五十円の十分の七に相当する金七万一千七百十五円の、被控訴人匡一に対しては金二万円の十分の七に相当する金一万四千円の、賠償義務を負うべきものと認定する。

被控訴人らは、被控訴人匡一に対する賠償額を定めるについては被控訴人一雄の過失を斟酌すべきでないと主張する。なる程被控訴人匡一には何ら責むべき過失なく、被害者は他人の過失によつて賠償請求権を縮少せらるべき理由はないのであるが、民法第七百二十二条第二項の認められた趣旨は、民事責任法の根本理念たる「損害の衡平なる分担」という立場から、加害者に不当な負担をなさしめないために、被害者側に責むべき点があつて、これが損害に対して何らかの影響を与えておると認められる時には、賠償額を算定するにつきこれを斟酌せんとするものであつて、同条項にいわゆる被害者とは、常に必ずしも損害賠償請求権の主体たる者のみに限らず、ひろく被害者側という意味に解するを相当とする。そして、本件において被控訴人匡一は未成年者であつてその父たる被控訴人一雄に扶養せられているので、被控訴人匡一の本件損害賠償請求権行使の結果は事実上その父たる被控訴人一雄の利益となることは当然であり、また被控訴人匡一はたまたまかかる関係にある被控訴人一雄の運転する本件ダツトサンに同乗して本件奇禍にあつた者であり、その事故については被控訴人一雄にも過失あることは前認定のとおりであるので、被控訴人両名をひろく被害者側として過失相殺の理論を適用するを相当とすべく、従つて被控訴人一雄の過失は被控訴人匡一に対する賠償額を定めるについても斟酌すべきであつて、右に反する被控訴人らの主張は理由がない。

(二)  次に、控訴人高橋は控訴会社の被用者であつて、本件事故は同控訴人が控訴会社の事業の執行中生じたものであることは、控訴会社の争わないところであるので、控訴会社もまた民法第七百十五条により被控訴人らに対し右(一)の金額を賠償する責あるものというべきである。これに対し、控訴会社は、控訴人高橋の雇入につき実地試験、人物試験を厳重に実施し、かつ控訴人高橋その他の運転手には流し運転をなさしめず、客の電話注文により適宜配車しているのであるから、過労等を生ずることなく、その営業執行の監督に付き相当の注意をなしたから、責任を負わない旨、主張し、原審証人鈴木民雄の証言、同証言により成立を認めうる乙第七、八号証の各一、二及び前記西田仁一の証言によれば、右試験の実施並びに営業運営の事実を認められないこともないのであるが、民法第七百十五条の使用者の責任が報償責任であることにかんがみ、これらの事実があつたからといつて直ちに控訴会社がその事業の監督につき相当の注意をなしたということができず、控訴会社の提出援用にかかるすべての証拠によるも未だ右事実を認めることができないので、控訴会社の右主張は理由がない。

(三)  次に、右鈴木証人の証言並びに同証言により成立を認めうる乙第六号証によれば、控訴会社が本件事故によりその所有にかかる本件自動車の損傷を受け、修理のため金二万五百円を支出し、同額の損害を受けたことを認めうるので、被控訴人一雄は控訴会社に対しその十分の三に相当する金六千五十円を賠償すべき責あるものというべきである。

四、控訴人らが被控訴人らに対して支払うべき賠償額並びに被控訴人一雄が控訴会社に対して支払うべき賠償額は叙上説示のとおりであるところ、被控訴人一雄は本訴において控訴人両名に対し各金七万千二百二十五円の支払を求めるに止まるをもつて、控訴人らは、各自被控訴人一雄に対し金七万千二百二十五円、被控訴人匡一に対し金一万四千円、及び各これに対する訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和二十七年十月六日から完済まで年五分の割合による損害金を支払うべく、また被控訴人一雄は、控訴会社に対し金六千百五十円を支払うべき義務あり、被控訴人一雄の本訴請求は全部正当として認容すべく、被控訴人匡一並びに控訴会社の本訴請求は右の限度において正当として認容しその余は失当として棄却すべきである。

しかるに原判決はこれと符合せざるものあり、控訴人らの控訴は理由がないので、これを棄却すべきであるが被控訴人らの附帯控訴は理由があるので、右附帯控訴に基き原判決を主文第二項以下記載の如く変更することとし、民事訴訟法第三百八十四条、第三百八十六条、第九十六条、第九十五条、第九十二条第八十九条及び第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大江保直 草間英一 猪俣幸一)

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